人を成長させるのは「研修制度」なんかじゃなくて、 「いかにストレッチさせるか」(いかに高い目標と裁量権が与えられるか)であり、 「いかにぐちゃぐちゃな環境で成果を求められるか」なんだよ。 [大企業のほうが成長できるとか完全にウソ - Chikirinの日記 (id:Chikirin / @InsideCHIKIRIN) http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20131113# ]というのに賛成で、「高い目標があり、自由な裁量権があり、しかも現場はぐちゃぐちゃであるという環境」がもっとも活性化エネルギーを減らすことが可能であると思う。その環境は、「最短で自分一人で行動を起こすとき」にすごく近い。しかも自分の好きなことだけじゃないから、自分一人でやるより少しやることに幅ができる。しかも、強制的に目的を高く掲げられて、怠けがちな自分を管理する人がいる。塾と同じ効果だ。(ストレスフルだけど) でも、考慮しなきゃいけないこともあって、技術を身に着けたい人などは上に当てはまらないことも多い。
大企業成長できない論が散見されるけど、僕はベンチャー企業より大企業のほうが技術書や論文読んだり実験したりする時間が取れるから成長しやすいと思う。ベンチャーのほうがそれを多くできるとでも言うの?
— Kumazaki Hiroki (@kumagi) 2013, 11月 17
成果を求められるということは、時間のかかる大きなことには挑戦できないということだから。個人で運用なんかしてたら、素早い成果を求められたらできることで素早く終わらせて発展させる暇がない。
「今はNという成果のために、Aという作業により1日でできるようになっている。
ここで、Bという作業ができるようになったらNという成果のためにかかる時間は半日だ。
しかし、そのBを習得するために4日かかる。」
というときに、Nをするための期限がたった一日で、しかもそのあとにも求められることが多く予定がつまっていたら、Bを習得する時間なんてなかなかできない。
また、今の自分がそうであるように、ひとつのことを集中してやらされているために、全然関係のないことをやる時間がとれない可能性も高い。まぁ、そんな環境の中でなんとかできないようじゃダメだって言われたらそれまでなのだけど。
あと、学生から思っていて、働いてより実感したのだけど、向上心のない環境で働くのと向上心の高い環境で働くのでは、効率が違う気がする。目的に対して効率的に励みたいのなら、向上心のある環境で動くべきなんじゃないのか。
これは僕と僕の友人達の話から感じてる話になりますけど、会社に入って一番驚いたのは世の中には「全く向上心がない人」が相当数存在するんだということです。 「大企業のほうが成長できるとか完全にウソ」だけどそもそも成長したいと思ってる人が少ない - razokulover publog http://razokulover.hateblo.jp/entry/2013/11/13/232118意外とみんな成長とかそんなに考えてない、なりたい何かとか存在しないか考えてない。与えられた環境で不満足に愚痴愚痴働いている。なんてネガティブなんだ。いつも死にたいとか言ってるけど、僕の方がよっぽどポジティブなんじゃないのか。 こういう輪の中にいると、ポジティブなことが異常に恥ずかしく感じられるし、何かしら志があることを伝えると叩かれてしまう。でも世間的にはそれが普通なんだと思うし、そうした反応であることも悪いと思わない。だけど、どうであれ向上心の少ない環境で、向上心の高さによって摩擦が多いことは効率について悪いなと思う。 まぁ、それぐらいの環境で効率が減るようじゃダメだって言ってたらそれまでなのだけど。 ところで、最後の問題について、どうして向上心がないのか考えていたら、多分、どうにかしたいという思いがそんなに強くないのだと思う。 僕は今の地位・収入について異常なコンプレックスがあるし、技術力についてもコンプレックスがあるし、やりたいことを十分にこなせていないという罪悪感もある(僕の中ではやりたいことをやっていないことはなぜか罪悪感に繋がっている。このあたりはそのうち触れたい)。今の職場についても、「自分で調べろと言う癖に調べる指針も環境も無いことはクソだ」「うまくいかないときに強く当たられる環境はクソだ」と思っているので、それをどうにかする活動を多少はしている。 どうにしても、「こんな状況は嫌だからなんとかしたい」という思いが、他人よりそれなりにきっと強い。 コンプレックスの多い人は、なんとかしたいと願う力が強いんじゃないか、そうじゃなければ救いがない。 その方が物語として綺麗だから、そう思い込むことにしよう。 成長を志したところで結果出るとは限らないけれど、成長したいと思う。 なんとかしたいと願うから、なんとかできるようになっていくことは成長だから。