自分の中での重複コンテンツがある。Googleにとっては順位が低くなってしまうであろうそれは、とても重要なんだ。
考えはどんどん重複していく。重複していって、いつか答えはでるだろうか。それでも、重複させずにはいられない。見えない束縛によって、それはどんどん重複していく。
文章を入力していくのは楽しい。それは何年も止まっていたからなのかもしれないけれど、楽しくて仕方がない。誰も読んでいないかもしれないけれど、それでも楽しい。文章を作り、何かが意味を伴って解放されていくこと、そんなことができるような世の中になって本当に良かった。
かつては個人ホームページを持って初めてできたことが、今は手軽にできる、なんて最高なんだろうか。かつては他人のホームページBBSで始めたこの日記も、今はブログとなって、無料で意味を残している。
他人が自分で取捨選択して意味を拾うことのできる、最高の場だ。
他人に決定権を委ねるというのは、そういう場を持つことだ。
読むも読まぬも、意味を持たせるも持たせないも、全て他人次第なのだ。
文章自体に自分の好きなバイアスをかけて発信していくけれど、最終的に意味を成すのは、他人の自発性なのだ。
だから、それはやめらねない。すべての責任は他人であるというポジション。自分の生きた証が文章となって世界に意味を成していく。しかし、その意味を作るのは、自分以外には全て判断が委ねられているのだ。
なんて楽しいんだ。世界は捨てたものではなかった。
なんてね。
狭い部屋で、安いスピーカーで、安いノートパソコンで。
この重なった日々が、あなたに届く何かを成しますように。