何が君を幸せにするのか?何が君にとっての幸せなのだろう?
それはとても難しいこと。自由度が高くなってからこそ、突き当たる内容。
他人に自慢するだけなら完全に踏み外さないうちは論理としては簡単だよ。それで満足できない要素が出てくるからこその人間なのだ。
矛盾するようだけど、一瞬が簡単な方に流れていくことは、自慢できる要素を削っていく。論理としては簡単でも実行できるかは別。自慢できないような人生になった時、どうやって自分を保つことができるだろう。
やりたいことをやりたいと叫び、今のままでいいんだと言い張ることだろうか?
それはそれでいいのだと思うよ。少なくともそんなことで自分を保つことができるなら、ぜひともそうするべきだ。自慢できるようなことがすべてでないといえど、でもそれで保てないからこその人間ではないのかい。
あれがしたい、これがしたいと、表面だけのたまうだけなら簡単なんだ。いざ、その場面になった時に躊躇してしまうことが問題なんだ。
いっそ、誰かに決めてもらえたなら楽なのにって、思う時はない?
きっと思ったことがないつもりでも、似たような事態になっていたりするのだと思うよ。
何かを決める番になっては、かならず躊躇する。それは人間らしいといえばそうだけど、それでいいのかも疑問。
でも、あとでダメになったって、流された方が後悔しないってことじゃないかな。君はそういう人間なんじゃないかな。
きみが本当に欲しいのは、流してくれる人なのではないかなぁ。
……でも、ひとつ言いたい!!流されたほうが後悔しない事象は確かにある、だけれど、全てを流されたいと思っているわけではないのだ!!
僕はこの人生で多くのことを後悔しているし、今だって過去のことに囚われて元気が出なくて困るときもあるのだけれど、それが全部ではないんだ!!流されて後悔したこともあって、流されて手に入れたものもあって、自分で決めて掴んだものが少なくても、やっぱりすべてを流されたいと思っているわけではないんだ。
もし失敗してしまっても、このまま何もつかめなくても、こうして生きていけたんだって言えたなら、それはそれで十分だと思っているんだよ。変なことを言うけれど、変なことを言っていたくて、それを最後に誰かに伝えられたなら、それで充分なんだ。
ここに自分がいるから。