Life is 迎撃

ポエムブログです。

溺れた魚を掴むまで

それは道を歩いているときだったり、買い物をしているときだったり。コンプレックスがむくりと顔をあげて、僕を馬鹿にする。そいつの発生原因はわかっている。だけど対処できない。もう会わない人の顔が脳裏にうかぶ。会ったこともない人の声が聞こえる。

 

どんなに克服できたと思ったことでも、あとから考えて本当に克服できていたことはない。結局のところ、僕は縛られている。

 

「なぜできないのだろう」「なぜこうなってしまったのだろう」と「どうやったらできるだろう」「どのようにやっていこうか」は質問の内容としては重なることが多いのに、自分に与える意味合いが全く異なる。僕は同じことを考えているつもりなのだけど。何かをできなかったことを考察することは、今後出来るようになるためのつもりである。どうしてこうなったかを考察することは、今後進んで行くための必要事項である。だけど、僕は質問に縛られて今においてけぼりにされて、その差が開いてくばかり。

 

願うことでしか手に入らないこともあると思っているし、願わなくなるとそれは自分の手を離れてしまうと思っている。だけど願うことは紙一重で、僕をただ過去に縛り付けてしまう。未来を思って願うことが、そのまま過去に流されて、僕も一緒に流されて。

 

だから今度こそ未来にしっかり掴もうと思って、願いを捨てた。すると毎日が無意味になった。

 

さよなら未来。こんにちは夢。毎日僕は溺れている。